母校と恩師🏐

バレー

 

 

先日、約20年振りに小学校へ行きバレーを教えた。

 

今母校の指導をしているのは、同じクラブチームのメンバーの一人。

もちろん僕と同じく同学校のOB。

 

体育館に着くと子どもたちが大きな声で迎えてくれた。

 

まずビックリ❗️

 

人数が多い❗️❗️❗️

 

男女一緒だからか?

男の子だけだと10人くらい。

 

僕の時は6人しかいなかったからな。。(笑)

 

 

人数が多いからか、練習は活気溢れている。

こんな声出して練習するのとか懐かしい。

 

 

 

小学生だと中途半端な人見知りなんてない。

 

「フローターはどうやったらもっと強く打てますか?」

「どうやったらふわっとしないでネットギリッギリのサーブ打てますか?」

「どこが悪いのか見てください。」

「ダンク出来ますか?」

「身長何センチですか?」

「体重何キロですか?」

「背番号何番ですか?」(番号が若い方が上手いと思っているらしい)

「腹筋割れてますか?」

 

 

思ったこと聞きたいこと全開で聞いてくる。

歳を重ねるにつれて忘れてしまったこの感じ。

 

知恵が少しつくと、

こんな質問していいのかな、、

と踏みとどまったりしちゃうんだけどね。

大人でもたまに必要だよね!

 

思い出させてくれて感謝🙏

 

 

 

コーチの言うことはちゃんと聞いて、

小学生なりにちゃんとコミュニケーション図って、

休憩中はふざけるけど締めるとこはちゃんと締めて、

ビギナーからレギュラーまで一緒に声出して半日の練習は終了。

 

 

 

こうやってチームを持って、日々成長する子どもたちを見るというのも悪くない。

 

 

練習が終わり、ふと周りを俯瞰する。

 

この体育館、校舎、匂い。

 

懐かしい。

 

恩師がいつも座っていたポートボール台。

今もある。

 

恩師の笑い声や怒鳴り声が頭の中でよみがえる。

 

 

 

 

 

僕のバレーボールもここから始まった。

 

泣きながらボールを追いかけ、喰らい付いていった。

 

バレーをするのが当たり前で、、必死で、、

やらされていたわけではないんだけど、

あの頃は好きでバレーをやっていたのかは正直わからない。

 

でも結果、

こうして20年以上続けているということは、バレーが大好きだったんだと思う。

 

 

 

 

大人になって

 

今もバレーを続けていること、

全国優勝できたこと、

チームの1点で子どもみたいに無邪気に喜べること、

バレーを教える側にもなってること。。

 

これは紛れもなく恩師の力。

 

僕ら以外のOBでも、僕ら以上に選手として活躍している人、教員としてバレーを教えている人など数多くいる。

 

 

もし卒業後も活躍しているというOBが一人だったら、それは指導者のおかげというよりその人の生まれ持ったセンスかもしれない。

 

でもさっきも言ったようにここのOBの活躍は一人や二人じゃない。

 

つまりは、

恩師の指導力がやべーってこと。

 

 

もちろん保護者の力もなんだが、

たった一人の愛ある指導で、ここまで夢中にさせる。

恩師のバレー愛が伝染した。

 

 

 

青は藍より出でて藍より青し

 

な〜んてカッコいいことわざがあるけども、

 

選手としての結果は残してるかもしれないけど、指導力としては手の届くところには、、

いやいや、

比べるなんておこがましいほどに、まだ遠く遠く及ばない。

 

 

僕にもまた、バレーを教える機会がくるかな〜

教える時は恩師のように一人一人に愛情を持って。。

 

 

いつの日か

 

藍より青く。

 

 

 

後ろから迫ってくる青もいたら嬉しいね

 

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